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《コナン・ザ・コナン》ロバート・E・ハワードの世界
ロバート・E・ハワード作品
オリジナル翻訳


THE DAUGHTER OF ERLIK KHAN by Robert E. Howard
エルリク・カーンの娘
 エル・ボラク・シリーズ

 《10》

 重々しい扉は意外に滑らかな動きで内部に向け左右に開くことができ、その骨董品まがいのちょうつがいにはどうやら最近まで油が差されていたことを示している。間に合わせの松明で、堅い岩盤を切り抜いた地下道の入り口付近を照らしてみる。地下道はまるで瓶の首のような形をしており、扉から二、三フィート奥まったあたりで急に広々とした空間になっていた。入り口に備え付けた松明の揺らめく灯りだけでは、その異様に広い内部のほんの一部しか明らかにできない。

「この地下道を通れば山を抜けることができる」とヨゴック。「太陽が昇りきる頃には、あんたらは追っ手を遥かに引き離しておることじゃろう。もしも奴らがこの山を越える道筋を選べば、馬から降りて進まねばなるまい。そうなれば山を越えるのは一日仕事じゃよ。山裾を回り込んで低い丘を通り抜ける道もあるが、そちらを選べば更に長い時間が必要になる。馬とて弱ってしまうじゃろう。

 この抜け道こそ、わしがオルモンドたちを案内するつもりでいたものじゃ。山を越えようなどという気は最初からなかったわい。皮肉にも、これがあんたを逃がす最後の手段になろうとはな。食い物もここにあるぞ。一年のうち決まった季節だけ、修道士をここで働かせておるからな。確かそっちの方にランプも置いてあったはずじゃ」

 そう言うと、ヨゴックは入り口近くにある岩をくり抜いてつくった小さな小屋を指し示した。ゴードンがいくつかのバター・ランプに灯りをともし、トルコ人に手渡した。行く手どんな危険があるか想像もつかないが、ゴードンは自らが先頭に立って仲間を地下道に導き入れる。追っ手はもうすぐそこまで近づいているのだ、躊躇している暇などない。我が身を救いたいと願う司祭の欲望を信じて、この巨大な扉を閉じ、闇の中へ飛び込んでいくしか道はないのだ。

 仲間がすべてが地下道の中に入りきると、ヨゴックが扉を封鎖するよう指示を出した――見ると人間の足ほどはあろうかという太さの巨大な青銅の棒が転がっている。それを持ち上げるため、力の弱ったトルコ人がなんと五、六人がかりだ。ひとたび場所に収まるや、重厚な青銅の敷居と枠を岩肌深くにじかに打ち付けられていることと相まって、この一トンはあろうかという扉は銃の集中砲火を浴びたくらいではびくともすまい――ゴードンはいくぶん安心した

 先頭を進むのはランプを掲げたオルカーンで、ゴードンは彼と己との間にヨゴックをはさんで進んでゆく。なるほど確かにヨゴックは、己の復讐こそ諦めざるをえないとはいえ、常に恐れ、憎んでやまなかった『女神どの』を遂に厄介払いできるのだ。そうしたある種の満足感を抱いているらしい今のヨゴックではあったが、それでもこの男を信頼しきるのは危険だ。

 極度の疲労によって気を失いそうになる己と壮絶な戦いを続けることに全神経を集中させながらも、ゴードンは行く手に広がる空間がランプに照らし出されたとき、驚かないわけにはいかなかった。このような場所が存在しようとは、今だかつて夢想だにしたことがない。ゆうに三十人ほどの人間が馬に乗ったまま横に並んで進めるほど幅のある、この洞窟のような地下道。そして天井は灯りが届かぬほど高いところにあった。ところどころで鐘乳石が、まるで千色もの輝きを放ってランプの灯りを反映している。

 岩床と壁はどう見ても人間が加工した大理石のようだが、これほどのものを切り出し磨き上げるのに、一体どれほどの歳月を要しただろうか――と、ゴードンは思わずにはいられなかった。一定の間隔ごとに、岩をくり抜いた小室が道の両脇に現われては過ぎていく。やがてゴードンの目が捉えたのは山掘りの跡で、その中に鈍い金色のきらめきが走っているのを彼は見逃さなかった。

 その光はゴードンに、驚くべき事実を伝えるものだった――〈エルリク・カーン山〉にまつわる噂は本当だったのだ。岩壁には模様のように金脈が走っていて、しかもナイフの切先で削るだけで簡単に掘り出すことができる。

 まるで死肉の臭いを嗅ぎ付けた禿鷹さながら、略奪の品を目の当たりにしたトルコ人たちは朦朧としていた意識から突如として目覚め、ほとんど痛ましいばかりに関心を取り戻しつつあった。

「お頭、修道士どもはここから黄金を生み出していたに違えねえ」と言うオルカーン、ランプの灯りに照らされた瞳が爛々と輝いている。「この老いぼれを絞め上げる許しを出してくれ。そうすりゃきっと、岩から掘り出した金の隠し場所をぺらぺら喋るぜ」

 けれども当の『老いぼれ』は、そんな拷問など必要としなかった。掘り出されたばかりの金を流し込んで造った金塊が整然と積み上げられている、正方形に掘り抜かれた一隅を、ヨゴックは自ら差し示した。近くには、鉱石を溶かして黄金を造るための簡単な道具が置かれた、やや大きめの空間もあった。

「好きなだけ持っていくがいい」こともなげにヨゴックは吐き捨てた。「千頭の馬を連れて来てもまだ運びきれずに、こうしてここに置いたまま保管しておるのじゃ。しかも、ここより質の良い金脈がまだまだ手付かずのまま残っておる」

 強欲そうに舌なめずりする薄い唇、意気消沈していた口髭はたちまち元気を取り戻し、瞳という瞳が鷹の目のようにぎらつきながらゴードンの様子をちらちらうかがっている。

「予備の馬を連れているだろう」という彼の提案は、手下たちを満足させるに十分すぎる応えであった。

 これまでに遭遇した苦難のすべてもまた、最初に略奪を約束したその言葉通りにゴードンがこの黄金へ導くために必要な計画の一部だったのだと、皆がそう思い込んでいる。馬の体力を気づかってゴードンが止めに入らなければ、彼らはいつまでも予備のポニー馬に黄金を積み込むことをやめそうもなかった。更に男たちは柔らかい金塊を叩き切って、かけらをベルトやらズボンやらに詰め込みさえしている。それでもなお黄金の山はほとんど減ってはいなかった。それほど多くのお宝を後に残さざるを得ないことで、略奪者の中には声を張り上げ泣き面になっている者までいる始末。

「いつかきっと――」と彼らは互いに誓いあう。「数え切れぬほどの馬と馬車を引き連れて戻り、ここにあるすべての金塊を頂いて帰ろうじゃねえか。アラーの神よ!」

「犬どもめ!」それを聞いてゴードンが悪態をついた。「おまえたちみんな、夢に見たこともないようなお宝を手に入れたのではないのか。腹が破裂するまで死肉の山を食い尽くすジャッカルではあるまいに。おいみんな、キルギス人が山を越えておれたちの喉を切り裂きに来るまで、ここでのんびりするつもりじゃないだろうな。金はもうそのくらいにしておけ、このごうつく張りの悪党どもめ」

 金よりももっと強くアメリカ人の気を引いたのは、別の一角に置かれていた大麦が詰め込まれた皮袋で、それを運ぶために何頭かの馬から黄金を戻すよう部族民たちに命じなければならなかった。男たちはぶつぶつと不平を漏らしこそしたが、素直にゴードンの命令に従った。今の彼らならば、たとえ地獄へ共に乗り込まんと命じようとも、ゴードンの命令には従うようになっていたのだ。

 身体中の全神経が、睡眠不足と極度の空腹によって悲鳴を上げているような錯覚さえ起こしている。それでもゴードンは、生の大麦をひと握り口に放り込んで噛みしめながら、脅威的な精神力を発揮し、弱りつつある身体を鞭打った。ヤスミナもまた疲れ果てて鞍の上でうなだれてはいたが、その瞳はランプの小さな灯火の中でさえ曇ることなく輝いている。そんなヤスミナを見ていると、以前感じていた賛美の念さえ小さく思えるほど、彼女に対して深い尊敬を感じずにはいられぬゴードンであった。

 ちかちかとランプの灯りを反射する、この夢の宮殿のような地下道を、一行は黙々と進んでいく。部族民たちは大麦をむしゃむしゃと噛りながら、手に入れた黄金で何を買おうかなどと有頂天になって陽気な喋り声を立てていた。遂に地下道の終わりにたどり着いてみると、そこには反対側の出口と全く同じような青銅の扉が備え付けられてあった。巨大なかんぬきは掛けられていない。ヨゴックの説明では、もう何世紀にも渡って、修道士以外で〈エルリク山〉を訪問する者など誰もいなかったそうだ。何人かで力を合わせると、扉は内側に向けて左右に開き、一行は夜明けの白光を受けて思わず目をしばたたかせたのだった。

 彼らの前には小さな岩棚があり、そこから巨大な断崖の縁に沿って狭い小道が曲がりながら伸びていた。小道の片側は何千フィートもあろうかという深淵が口を開けており、遥か彼方の谷底で銀の糸のような小川が流れているのがなんとか見てとれる。そして小道の反対側は、およそ五百フィートばかりの切り立った断崖が頭上に伸びていた。

 左手の視界は断崖にさえぎられていたが、右方面は一番端に〈エルリク・カーン山〉が連なる山脈を目にすることができた。そちら側で一行の足下に口を開けた深い崖は、一本道に沿って南方彼方まで延々と続いており、丘陵地帯が形成する壮大な城壁に刻み目を打ち込んでいる。

「エル・ボラク、ここまで来ればもう安全じゃ」と、山道を指し示しながらヨゴックが言った。「この場所から三マイルばかり道を下っていけば、ある山村に抜け出ることができる。そこで水や肉、馬にくれてやる新鮮な草を手に入れることができるじゃろう。更に三日ほど南に進めば、あんたらが良く知っておる地域にたどり着けるはずじゃ。その一帯は山賊をなりわいとする部族が支配しておるが、あんたらほどの大集団を襲うような真似はまさかするまい。キルギス人が山を回り込んでくる頃にはこの道を遥かに進んでおるだろうし、奴らもそれ以上あんたらを追跡するのは諦めるじゃろう。さぁもうこれで良いであろう、わしを自由にしてくれ」

「いや、まだだめだ。この道をしばらく進んでから放してやる。ここで自由にしたら、この地下道を戻ってキルギス人どもが来るのを待ちうけ、何をしでかすかしれたものではないからな。奴らの女神に貴様が何を企んでいたかなど、どうとでも嘘を並べれば済む話だ」

 ヨゴックは目を怒らせゴードンを睨みつけた。一方アメリカ人の目は充血で血走り、その顔の皮膚は骨にへばりつくように張り詰めている。それはまるで地獄の業火に焼かれる男の顔で、実際今のゴードンはそれに近い状態にいたのだ。憎んでやまない人間たちから一刻も早く離れたいと願う気持ちは判らぬではないが、耳障りな声で文句を並び立てるヨゴックの抗議を認めるわけにはいかない。

 今のゴードンのような状態になれば、人間だれしも原始の本能に逆戻りしてしまう。ゴードンは爪が皮膚に食い込むまで鉄の拳をぐっと握り締め、司祭の頭に銃尻を殴りつけるのをこらえねばならなかった。内なる苦闘を続ける今の彼の脳には、執拗な懇願と言い争うのは苦痛を伴う侮辱以外の何者でもない。

 司祭が大声で不平を言いたて、それに対して説得すべきか、はたまた力に物をいわせようかとゴードンがためらっている間にも、黄金と食物を手に入れ気を良くしたトルコ人たちは――先を急ぎたいとの気持ちも手伝って――ぞろぞろと二人の後ろを通り過ぎてゆく。ゴードンがそれに気付いた時には、既に五、六人ほどの男が岩棚の上に抜け出ており、ゴードンもヨゴックを連れてくるようオルカーンに命じてから、それまでのように先頭を進もうとして岩柵へと馬を乗り出していった。だが既に一人の男が小道に馬を進めており、狭い道だけに向きを変えることもできず、さりとて崖際にぴったり寄ったとしてもゴードンに道を譲るだけの幅はない。

 ゴードンは仕方なく、先を進むよう男に叫び掛けて、自分自身もあとに続いて小道に馬を乗り入れた――まさにその瞬間、頭上から巨大な岩石が雪崩のような地響きを立てて転がり落ちてきたのだ。先を進んだ男は無残にも岩石の直撃を受け、まさにほうきで壁の蜘蛛を拭いさるように、馬ともども谷間へ転落していった。岩棚から落ちた岩石のひとつが跳ね上がってゴードンの馬を直撃、その前足を砕くと、馬は悲鳴のようないななきを発しながら仲間の後を追って谷に転げ落ちた。

 馬が転落したとき、ゴードンはとっさに馬上から跳躍し、危機一髪、身体半分で岩柵の縁にしがみつくことに成功した。ヤスミナの悲鳴とトルコ人たちの怒鳴り声が耳に響くなか、死に物狂いで安全な場所へと引き返していく。銃の標的になりそうなものなど何も目に入らぬというのに、それでも何人かはライフル銃をあたりかまわず撃ち回している。その一斉砲火に対する応えは、嘲るような笑い声として断崖の上から荒々しく響いてきた。

 まさに絶体絶命の危機といえたが、しかしゴードンは動転することなく、男たちを地下道の中の安全な場所へと退避させる。ここに至って罠に掛かった狼さながら、いつ襲ってくるやも知れぬ左右からの攻撃を、ただ策もなく待ち構えているしかない。十人以上のトルコ人がヨゴックの頭上に〈トゥルワー〉を振り回している。

「ぶっ殺してやる! おれたちを罠に掛けやがった! アラーの神よ!」

 ヨゴックは顔面蒼白で、その表情はまさに恐れに引きつった仮面と化した。拷問に掛けられた猫のような金切り声で泣き叫ぶ。

「冗談ではない! わしはできる限り急いで、安全な道を案内したのじゃぞ! こんなに速くキルギス人どもが山の側面を回り込んで追い付くはずはない!」

「そこいらの小屋に修道士が隠れていたとは考えられんか?」ゴードンが訊ねる。「おれたちがやって来るのに気付いて、こっそり小屋を抜け出したのかもしれんぞ。上にいるのは修道士に違いあるまい」

「いや、それはあり得ぬ。エルリクに誓おう! 金鉱掘りは年のうち三ヶ月の間しか許されておらぬ。それ以外の季節にこの〈エルリク山〉に近づく者には、死が待ち受けておるのじゃ。崖の上にいるのが何者なのか、わしには皆目見当も付かん」

 ゴードンはもう一度小道の上に身を乗り出してみたが、またもや岩石のシャワーによって手荒い歓迎を受ける。危ういところでゴードンは身をかわし、そのとき頭上高くからの叫び声を聞いた。

「ヤンキーの犬め、気分はどうだ? 今度という今度は逃がさねえぜ、この下衆野郎が! おれが裂け目に転落したとき、てっきり死んだと思っていたんだろうが。あいにくだったな、ちょうど良い場所に岩棚が突き出ていて、そこに着地して助かったのさ。あのときゃまだ、裂け目の中を見通すほど太陽が高く昇ってなかったのが幸いして、貴様には下の様子が見えなかったらしいな。もしも銃を持っていりゃ、貴様が裂け目を見下ろしたときを狙って撃ち殺してやったものを――。貴様が去ったあと、どうにか這い出してきたのよ」

「オルモンドか!」ゴードンが苦々しげに叫び声を発した。

「おれがあの修道士から何も聞き出していないとでも思ったか?」とイギリス人も叫び返す。「ちょっとばかし拳銃で奴の歯を殴りつけてやったら、あの野郎、〈エルリク山〉の地下道についてもぺらぺらと喋りやがったぜ。貴様がヨゴックの老いぼれと一緒にいるのを見て、きっと奴は〈エルリク山〉へと貴様を案内するに違いないと踏んだのよ。それでここに先回りしていたんだ。できればあの扉にかんぬきを掛けて貴様の行く手を阻み、追っ手どもになぶり殺しされるのを見たかったんだが、残念なことにあのかんぬきはおれ一人ではどうにも持ち上げることができなかった。だがまぁ、よかろう。どっちにしろ貴様は袋の鼠だ。洞穴から先へは一歩も進ませんぞ。道に姿を見せたら虫けらのように圧し潰してくれるわ。こっちからは下の様子が丸見えだが、そちらからはおれの姿は見えまい。ここでのんびり、キルギス人たちがやって来るまで待つとするさ。おれはまだヤスミナのペンダントを持っているんだ。奴ら、おれの話には耳を貸すだろうよ。

 奴らに言ってやろう、貴様がヤスミナを誘拐し、ヨゴックがそれに手を貸したとな。そうすりゃヤスミナ以外は皆殺しだ。ヤスミナは奴らに連れ戻されてしまうだろうが、今となってはどうでもいいことよ。もうカシミール王子の賞金なんぞ目じゃあない。おれは〈エルリク・カーン山〉の秘密を手に入れたのだからな!」

 ゴードンは洞窟の入り口に戻り、イギリス人の話を皆に繰り返した。ヨゴックは恐怖のあまり尚一層顔色が青ざめ、皆の視線が静かにエル・ボラクに向けられた。彼の充血した瞳がさっと見渡す前には、夜明けの光で弱められたランプに映し出された男たちの、しきりにまばたきを繰り返す、髪を振り乱し、やつれ果てた姿――どう見ても暁の地上に這い出してきた食屍鬼そのものだ。不屈の闘志で、ゴードンは発散しがちな思考力をなんとか呼び戻そうとする。このゴードンという男、いまだかつて忍耐の限界に達したことがなかった。これで最後かと思うような状況に陥っても、常に限界を超えた秘密の生命力を隠し持っているのである。

「別の出口はないのか?」彼は追及する。

 相変わらず恐怖で歯をがちがちと鳴らしながら、ヨゴックがかぶりを振った。「人間や馬が通れるような出口はここだけじゃ」

「――と言うと?」

 司祭は暗闇の中へと戻り、入り口付近で地下道が狭くなったあたりの壁際にランプを近づけて示した。錆びた金属のかけらが岩から突き出ている。

「かつてここには、はしごが掛けられておった」とヨゴックは言う。「はしごは天井近くの岩壁にできた裂け目にまで、ずっと伸びておった。以前は裂け目の上に座り込んだ仲間が、南の道から侵略者どもが攻めて来ぬか見張っていたものじゃ。だがはしごが使われなくなってから、もう何年も経つ。握りの部分は錆びてしまい、いつのまにやら崩れ落ちてしまったのじゃよ。どちらにせよ、この上の裂け目は外の断崖の途中にできた岩棚に抜けておるだけじゃ。万が一あそこまで登ることができたとしても、その外の断崖を下りるのはまず不可能じゃろうな」

「だが裂け目からオルモンドを狙撃することぐらいはできそうだ……」とゴードン、思考力を保とうとしてしきりに頭を振りうちながらつぶやく。

 ただじっとしていることは、眠気と戦い続ける今のゴードンにとっては百害あって一利なしだ。トルコ人たちが低い声でぶつぶつとつぶやいていたが、ゴードンには意味のない音の羅列にしか聞こえない。心配そうなヤスミナの黒い瞳が、遥か遠い彼方からゴードンを見つめている。彼女の腕がそっとゴードンの身体に触れたような気がするが、それすらも定かではなかった。地下道に漂う厚いもやの中へ、徐々に朝日が這い寄りつつあった。

 意識をはっきりさせようと平手で自らの顔をぱんぱん叩き、ライフル銃を背中に担ぐと、ゴードンは岩壁を登りはじめた。オルカーンが彼を引き止め代わりに登ることを申し出たが、ゴードンはそんなオルカーンを振り払った。朦朧とした意識の中で、この役目は彼自身の責任であるとの確固たる信念があったのだ。ぼやけてしまいがちな集中力をなんとかこの作業に専念させ、機械仕掛けの人形のようにゆっくりとした動作で彼は進んでいった。

 次第に小さくなりゆくランプの灯りを頼りに、まず五十フィートほど登る。そこから先は薄闇の中、岩壁に手を這わせて懸命に錆びた鉄の取っ掛かりを探しながら進まねばならない。運良く見つかったとしても、あまりに腐食が激しく、どれかひとつに全体重を掛けようものならたちまち転落しかねぬ恐怖を感じる。しかも鉄の残骸が見つかるのはまだ良い方で、所々ではそんなものがあったという形跡すらなく、ゴードンは仕方なく指の引っかかる場所を探し当て、岩壁を直に掴まねばならなかった。それでもなんとか登り続けることができたのは、若干ながらも岩壁が傾斜していたお陰である。そんな地獄のような苦しみが、未来永劫続くかと思えるほど、いつ果てるともなく続けられた。

 下に見えるランプの灯りが、闇の中をうごめく蛍のように見える。鐘乳石が密集している天井まで、もうあと数ヤードだ。やがて彼の視界に小さな明りが一筋入り込んできて、そのしばらくのちには、外に開けた裂け目に屈み込んでいる彼の姿があった。その場所は、幅でいうならほんの二、三ヤード、真直ぐ立ったら上に頭がぶつかってしまうほどの高さしかない。

 その裂け目をおよそ三十フィートほど這ったまま進み、外を見下ろしてみると、岩だらけの斜面を百フィートほど下ったあたりに断崖の峰がつながっているのを目にすることができた。あの地下道の扉がある岩棚も、それに続く小道も見えない位置にあったが、断崖の縁にある巨石の上に屈み込んでいる人影ははっきりと視界に捉えることができる。ゴードンはライフル銃を肩から外した。

 いつものゴードンならば、この距離の標的をはずすことはまずあり得ない。だが充血しきった目では、どうにも狙いが定まらない。こうして夜明けの陽の光が降り注ぐ中にいると、疲れきった身体を余計に眠気が襲ってくるのだ。下に見える岩間の人影が、あたかも幻のように背後の風景に混ざり、その中へ溶け込んでいく。ライフルの標的はいつまで待ってもはっきりしそうにない。

 仕方なく歯を食いしばり、ゴードンは引き金を引いた。しかし銃弾はオルモンドの頭上一フィートほどの岩に当たって弾け、すぐさまイギリス人は巨石の陰に飛び込んで身を隠してしまった。

 ゴードンは自棄気味になってライフル銃を肩に掛け直すと、裂け目の縁から足を投げ出した。オルモンドが銃を持っていないということについては確信があった。下ではトルコ人たちが狼の群れのように騒ぎ立てている。だが今のゴードンは、岩だらけの斜面を滑り下りる作業に対し、感覚が失われつつある全神経を集中させる必要があった。つまずき、身をよろめかせ、ほとんど転がるようにして下っていく。遂には足を滑らせ、そのまま斜面を滑り落ちていったが、ライフル銃がでこぼこした岩に引っ掛かり、かろうじてライフル銃に付いた皮紐にぶら下がってそれ以上の転落を免れた。

 赤くもやが掛かった視界の中に、オルモンドが物陰から姿を現わすのを捉える。洞穴で見つけたに違いない〈トゥルワー〉を手に構えていた。このままイギリス人が登ってくるまで無力にぶら下がっていたのでは殺されてしまうのは火を見るより明らか――焦るゴードン、足や肘を岩に押し付け、乱暴に身体をよじるとなんとかライフル銃の皮紐を引きちぎることに成功。まるで鉄でできた重りのように斜面に投げ出されて身体をしたたかに打ち付けてしまうが、しかし断崖の縁から十フィートほどの岩の上に着地し、でこぼこした岩の表面にしがみついた。ライフル銃は彼の前に転がり落ちて、そのまま滑って谷間に消えていく。

 転落したことで逆に、麻痺したゴードンの神経は刺激を受け、朦朧とした意識も幾分回復させることができた。半月刀を引き抜いて立ち上がったとき、すでにオルモンドが彼の目前に迫っていた。このイギリス人もまたゴードンに負けぬほど、荒み果て、やつれきった姿になっている。狂気を宿した瞳が逆上して燃え上がっていた。

「こうなりゃ剣と剣で勝負だ、エル・ボラク!」オルモンドが歯と歯の間から叫び声をほとばしらせる。「貴様が噂通りの剣の使い手かどうか、じっくりその手並を拝見させてもらおうじゃねえか!」

 攻め寄せるオルモンド、待ち受けるゴードン――疲労困憊の態にある今のゴードンだったが、しかし憎悪と、戦いがもたらした突き刺すような狂乱とによって、その全身はめらめらと燃え上がっている。ほんのわずかでも足を踏み違えればたちまち死が待ち受けている断崖の縁の上を、前になり後ろとなり二人は戦い続けた。二人の剣がぶつかる激音があたりに谺し、驚いて目を覚ました鷲が甲高い鳴き声を立てて飛び立っていく。

 獰猛そのもののオルモンドであったが、しかし彼の母国イギリスで剣の達人から伝授された緻密な剣技をいかんなく発揮している。一方ゴードンの戦い振りは、彼が丘陵、大草原、砂漠と未開の地をさまよう中で身に付けた、冷酷にして無情この上ないものであった。まさにアフガニスタン人の戦い方だ――その猛攻には、勢力を増しつつあるハリケーンが前進し来るときのような、怒り狂った激烈さが込められている。

 まるで鍛冶屋が鉄床を打つほどの激しさを込め、ゴードンは相手めがけて剣を叩き付ける。その攻撃の激しさに耐えかねて、イギリス人はよろよろと後退をはじめ、遂には断崖の縁にまで追い詰められた。ふらふらとゴードンの為すがままだ。

「この豚野郎!」ゴードンの顔面に唾を吐きかけながら、あえぐオルモンドが叫び、そのまま頭も砕けよと恐ろしい勢いで剣を振り下ろしてきた。

「アフメドの仇だ!」受けて立つゴードンが吠える。オルモンドの剣をかいくぐって半月刀を打ち振るうと、耳障りな音とともに相手の頭蓋骨が砕けた。

 イギリス人はよろよろと後ろによろめき――その顔はいきなり噴き出した鮮血と脳髄とに染まっている――その体勢のまま背後に口を開けた底無しの谷間へ、音もなく消えていった。

 足の筋肉が震えていることに突然気付き、ゴードンは巨石の上にへたり込んでしまう。座りながらも、血にまみれた剣を両膝に渡らせて置き、両腕の中に頭をうなだれる。頭の中は空っぽの暗黒だ。ずっとそうしていたかったのだが、崖の下から湧き上がってくる叫び声が彼の意識を呼び戻す。

「おーい、エル・ボラク! 頭を斬り裂かれた男が目の前を通り過ぎて、谷に落ちていったぞ! あんたは大丈夫かぁ! あんたからの指示を待っているんだぞ!」

 仕方なくゴードンは頭をもたげ、今まさに陽が昇りかけている東の峰々にちらりと視線を走らせた――〈エルリク・カーン山〉の雪帽子も真紅の炎に染まっている。このまま一時間でもゆっくり寝かせてくれるのならば、修道士がため込んだヨルガンの金塊すべてを差し出しても構わない――そんなことを思いながらもゴードンは、こわばった脚を伸ばして立ち上がった。彼の体重さえも、この状態の脚にとってはぞっとするほどの重みを感ずる辛さがある。しかしゴードンの仕事はまだ終わってはいないのだ。下の小道を十分に進んでからでなければ、おちおち休んではいられない。

 残り少ない体力をなんとか寄せ集め、下にいる盗賊の群れに向かって叫び声を上げる。

「馬に乗って先へ進め、名もなき犬の落とし子どもよ! 道に沿って進むんだ。おれはしばらくこの断崖の上を歩いてゆくぞ。ひとつ向こうの曲がりを越えたあたりに、なんとか小道へ下りていけそうな場所があるのが見える。ヨゴックを忘れずに連れて来いよ。奴は自由を得るだけの働きをしてくれたが、もうしばらく我慢してもらわねばならん」

「急いで、エル・ボラク」ヤスミナの艶やかな叫び声が上に浮かんで来る。「デリーはまだ遠いわ。これからいくつも山を越えて行かなくては!」

 ゴードンは高らかに笑い声を発し、半月刀を鞘に納めた。その笑い声は、ぎょっとするようなハイエナの遠吠えにそっくりだった。下では道を往くトルコ人が、いつの間に作ったのか畏敬の念を込めた即興の歌を大声で歌っていた。歌の名は『剣の申し子』――それは男たちの頭上で崖の上をよろよろと進む、壮絶な笑みを浮かべた髑髏のような顔を持った男、岩に鮮血のしたたりを残しゆく脚の持ち主に捧げられた歌に他ならなかった。

〈終〉

第9章【←】


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