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《コナン・ザ・コナン》ロバート・E・ハワードの世界
ロバート・E・ハワード作品
オリジナル翻訳


THE DAUGHTER OF ERLIK KHAN by Robert E. Howard
エルリク・カーンの娘
 エル・ボラク・シリーズ

 《3》

 見張っていたキャンプ地が朝の動きを見せ始めた頃、空はまだほんのりと灰色に色づく程度でしかなかった。くすぶる燃えさしに再び火が躍り、羊肉シチューの旨そうな香りがあたり一面に漂う。アストラカン織りの帽子を被り、〈カフタン〉を身にまとった屈強な男たちが、肩をいからせ馬間を歩き回っている。また別の男は、大鍋の傍らに陣取り、少しでも味の良い肉片を選ぼうと、汚い指でシチューを突ついていた。このキャンプにはわずかばかりの荷物があるばかりで、女の姿は見当たらなかった。この種の部族民が軽装で旅を続けているとなると、考え得る旅の目的はただひとつしかない。

 陽がまだ昇らぬうちから男たちは、馬に鞍を置き、また武器を腰に結び留めたりと、身支度を始めている。このあたりが姿を現わす絶好のタイミングと見計らい、ゆったりとした足取りで馬を進め、ゴードンは尾根の上からキャンプに向け下りていった。

 すぐさまけたたましい叫び声が上がり、直ちに二十個ほどのライフルが一斉に彼に狙いを定める。だが、ゴードンのあまりの大胆な態度は、男たちをして引き金をひくことを躊躇させるに十分なものがあった。慌てた様子がまったく見えぬゴードンであったが、と同時に、時間を無駄にするつもりもないようだ。このキャンプの頭目と思われる男も、すでに馬上の人となっており、ゴードンはこの男の脇へとまっすぐ自らの馬を横づける。そのトルコ人――鷹を思わす鼻筋、残忍な瞳、赤褐色に変色した顎髭を持ったごろつき――は、じろりとゴードンをめねつけた。相手を認めた頭目の瞳が、まるで真紅の炎のように燃え上がる。ことの成り行きを、手下の男どもが固唾を飲んで見守っていた。

「これはこれは、ユセフ・カーンではないか」と、まずゴードン。「この薄汚れた犬野郎め、久し振りだな」

 それを聞いたユセフ・カーンは赤い顎髭を掻きむしり、狼じみた唸り声を発した。「てめえ、気でも狂ったか、エル・ボラクよ!」

「エル・ボラクだとッ!」戦士の間に興奮の囁きが波となって広がってゆき、それがまたゴードンに勇気を与えることへとつながる。

 殺戮の欲求も、しばしのあいだ好奇心に取って代わられ、男たちはもっと近くでゴードンを見ようと身を押しあうのだ。〈エル・ボラク〉の勇名はイスタンブールからブータンまであまねく知れ渡っており、砂漠の狼野郎が集まるところ、彼にまつわる勇ましい逸話が百も二百も繰り返し語り継がれていた。

 ユセフ・カーンに目を戻せば、この男、明らかに現在の展開に当惑している様子。隙を見つけては、ゴードンが下ってきた尾根へちらちら視線を走らせている。このゴードンという西洋人を心底憎んでいる彼ではあったが、しかしそれと同じくらい、この男の抜け目なさを恐れてもいた。そんな疑惑や憎しみ、恐れが入り交じった複雑な心理状態へと追い詰められた今、このトルコ人は手負いのコブラにも似た危険で、しかも何をしでかすか判らぬ存在と化していた。

「こんなところで何をしていやがる?」命令口調で問いただす。「はやく喋っちまわねえと、おれの手下どもがてめえの生皮を剥ぐことになるぜ」

「おれがここへ来たのは、昔の因縁に決着をつけるためだ」あの尾根を下った時点では、ゴードンに確たる計画があったわけではないが、それだけに、このトルコ人のキャンプを率いているのが因縁ある旧敵であると知ったところで一向に動じない。しかも、これを偶然の一致と呼べるものかどうか――。中央アジアのいたるところに、血で血を洗う宿敵を持つゴードンであった。

「たわごとばかり言いおって、この――」

 頭目がすべてを言い終わるより先、ゴードンが鞍から身を乗り出して、ユセフ・カーンの横っ面を平手でしたたかに張った。まさしく投げ縄の如き強烈な一撃を食らった頭目ユセフは、今にも馬から転げ落ちんばかりによろめいてしまう。狼の遠吠えにも似た罵声を張り上げるや、己のガードルに手を伸ばす彼であったが、怒りのあまりに手が震えてしまい、ナイフと銃の間で空しく宙をまさぐっている。この時こそゴードンにとっては攻撃する絶好のチャンス、だがこのアメリカ人の計画は別のところにあった。

「近づくんじゃない!」彼はすかさず、武器に手を伸ばそうとする戦士に警告を飛ばす。「おまえたちには何の恨みもない。これはおれと、おまえたちの頭目との間の問題だ」

 その言葉が別の人間の口から発せられたとすれば、何の効果も生まなかっただろう。だがゴードン以外の人間であれば、ここに至るまでもなくとうの昔に死んでいる。狂暴このうえない部族民ですら、〈フィリンジ〉に対して当然取るべき行動が、目の前のエル・ボラクにはなぜか通用せぬだろうというおぼろな感情を抱いていたのだ。

「こやつを引ったてろ!」ユセフ・カーンがわめくように言った。「鞭打ちの拷問で生き地獄を味わせてやるがいい!」

 それに応じて男たちがじりじりと距離を詰めるが、ゴードンは意に介さず不気味な笑みを浮かべるばかり。

「おれを拷問したからといって、おまえたちの頭目が受けた恥辱が消えたことにはならんぞ」彼は嘲り、「エル・ボラクの手形を頬面に浮かべた族長に従う男たち――と、物笑いの種になるのが落ちだろうよ。この恥辱を晴らす方法は、ただひとつしかあるまい。ハッ、手下どもに仕返しを手伝わせるとはな! ユセフ・カーンも臆病者になったものよ!」

 男たちは再び足を止め、顎髭を口泡で汚した頭目の様子をうかがうのだった。むろん彼らも知っていたのだ、この恥辱を晴らすには、一対一の決闘で、この侵入者が打ちのめされるより他に道はない、と。このような狼野郎の社会では、臆病者の烙印を押されることは死刑宣告に等しいものがあった。

 もしもユセフ・カーンがゴードンの挑戦を拒めば、手下の男たちは喜々としてアメリカ人を拷問にかけるだろう。だが彼らは決して、この日の出来事を忘れない。そしてユセフ・カーンの未来は呪われたものになる。

 ユセフ・カーンとて、そのことを重々承知していた。それに彼は、ゴードンが意図的に一対一の決闘へと己を引き込んだことにも気付いていたのだが、だからといって激怒に目がくらんだ今の彼にはどうすることもできなかった。彼の瞳は狂える狼のそれに似て、めらめらと燃えている。ゴードンが尾根の背後にライフル銃を手にした戦士を隠しているのではないかという、当初の疑いさえきれいさっぱり忘れている始末だ。己をこけにした男の、残忍な黒い瞳の輝きを永久に葬ってやる――そんな狂暴な欲求以外は、もう何も彼の頭に入り込めなかった。

「この犬野郎が!」と、幅広の半月刀を抜き払ってユセフ・カーンが絶叫した。「おれさまの手にかかって死ねるだけ、ありがたく思え!」

 怒涛の勢いで彼が攻撃を開始した。その外套が風にはためき、振り上げられた半月刀が頭上で光を放った。戦士たちが慌ただしく下がって出来た広い空間の中心に身を置き、ゴードンがユセフ・カーンを迎えいれた。

 大柄の馬にまたがるユセフ・カーンの姿は、まさに人馬一体、しかもその馬がまたすこぶる活きが良いとくる。けれどもゴードンの乗る馬もまた、戦い方を訓練された良馬であったし、しかも十分な休息を取ったあとだ。どちらの馬も、乗り手の意のままに素晴しい働きを見せていた。

 素早くも優美な跳躍を見せる二体の人馬が、互いのまわりをくるくると回転する。一瞬たりとも動きを止めぬ刃と刃がきらりと光り、ときに音を上げてぶつかり、やっと昇り始めた陽を受けて紅に染まった。馬上の戦士というよりは、一対のケンタウロスそのものだ。半人半獣の生き物が、相手の息の根を止めんと執拗な攻撃を繰り返している。

「犬野郎!」激しく喘ぎながらもユセフ・カーンが叫ぶ。悪魔が取り憑いた人間とでも言えようか、やみくもに剣を打ち振り、勝利を得ようと躍起となっている。「貴様のどたまをテントのてっぺんに突き刺して――うぎゃあ!」

 最後の攻撃はあまりにも素早く、ほとんどの男はそれを目に止めることができなかった。ただ目の前をまばゆい鋼のきらめきが通り過ぎたと思うばかりであったが、しかし骨が砕ける衝撃音だけはすべての男の耳に届いていた。ユセフ・カーンの愛馬がひと声高らかにいななくや、竿立ちになり、頭蓋骨をかち割られた死骸を鞍から振り落とした。

 怒りとも賞賛とも取れない言葉にならぬ叫びが、狼野郎の間から発せられた。ゴードンは半月刀を頭上でぐるぐると振り回してあたり一面に血の雨を滴らせながら、その向きを変えた。

「ユセフ・カーンは死んだ!」と怒鳴り立て、「頭目の仇を討とうという奴はいるか!」と続ける。

 ゴードンの意図をとらえきれずに、男たちはただぽかんと見つめるばかり。無敵と信じた自分らの頭目が倒されるのを目のあたりにした驚きから、男たちはなかなか立ち直ることができない。そんな中、ゴードンは半月刀を鞘に戻した。ある種の決着を見たことを示す空気が、はやくも流れ始めている。

 ゴードンが口を開く。

「どうだ、おれに付いて来ようという者はいないか。今まで夢に見たこともない略奪を約束するぞ」

 瞬間、緊張の火花が走った。だが男たちの貪欲さも、かろうじて疑いの気持ちに抑えられている。

「証拠を見せろ!」一人が叫んだ。「貴様を殺すまえに、その略奪とやらの証拠を見せろ!」

 それには応えず、ゴードンは馬から降りると、傍らで馬に乗る髭面の戦士に手綱を差し出した。あまりに人を小馬鹿にした態度、しかし相手の男は自分でも驚いたことに、差し出された手綱をなんの抵抗もなくすんなり受け取ってしまうのだった。ゴードンは大鍋へと大股で近付き、その横にしゃがみ込むや、がつがつと食事を始めているではないか。そういえばもう何時間も、彼は食事らしい食事を取っていなかった。

「太陽が出ているうちから星を見せろと言われても、無理な相談だ」よく煮込まれた羊肉をほおばりながら、ゴードンは話しを続ける。「だが、そこに星があることには変わりないのだ。時が来れば、いやでも目にすることができる。考えてもみろ、もしおれが既に略奪品を手に入れているのなら、わざわざおまえたちに山分けを申し出ると思うか? おれとおまえたちが協力して、はじめてそれを手に入れることができるのだ」

「こいつはおれたちを騙しているんだ」と、仲間からウズン・ベッグと呼ばれる男が口をはさんだ。「こいつを殺して、さっさとキャラバンの追跡を続けようじゃねえか」

「誰がおまえたちの先頭に立つんだ?」鋭くゴードンが切り返した。

 男たちが一斉に彼を睨みつけた。我こそは正統な後継者であると思い込んでいた悪漢たちが、ちらちらと互いの様子をうかがっている。それからすべての男が、再びゴードンに視線を戻す。この男、残忍このうえなかった黒テントの剣士を斬殺してから、ものの五分と経っていないというのに、よくも平然と羊肉シチューなぞがつがつ食らうことができるものだ。

 こちらにはまったく関心のない素振りを見せてはいるが、誰もそれに騙されなかった。皆が知っている、この男ときたら、いかなる体勢からでも稲光のような攻撃を仕掛けてくる、まるでコブラのような危険人物であることを。男たちが総出で攻撃を仕掛けたとしても、そのうちの何人かは確実に彼の攻撃の犠牲となるだろう。当然誰も、自分が最初の犠牲者となることなど望んでいない。

 男たちに攻撃を思い止まらせているのは、何もそればかりではなかった。彼らとて好奇心はあったし、またゴードンが口にした略奪への欲もあった。一方では、ゴードンがある種の目的を達成するため、彼らを罠に引き込もうとしているのではないかというおぼろげな疑念、更には新しい指導者の座をめぐる互いの嫉妬心――。

 ウズン・ベッグは最前からしげしげとゴードンの馬を観察していたが、やがて突然、怒りの叫びを発した。「おい、こいつはアリ・カーンの馬じゃねえか!」

「それがどうした」ゴードンはあくまでも穏やかな口振りで応え、「それを言うなら、これはアリ・カーンとやらの剣だ。そいつは卑劣にも物陰からおれに発砲しやがった。その結果どうなったか――今ごろは奴の方が、ジャッカルの餌になっているだろうよ」

 しーんと静まりかえる男たち。恐れや憎しみ、それに混じってゴードンの勇気、技倆、勇猛振りを称える賞賛の念が、狼集団の心中に湧き上がっていた。

「いったい、どこに向かうつもりなんだ?」と訊ねたのはオルカーン・シャーなる男。暗黙のうちに、ゴードンの指揮権を認める形となった。「おれたち自由の民、剣の申し子を引き連れて……」

「大きく出たな、犬の落とし子どもが!」ゴードンが応えた。「土地も家族もない男ども、自らの一族からさえ見放された放浪者――生きる目的もなく、こんな不毛の山奥をうろつき回る男ども! よくもまぁ、なんの疑問も抱かずに、あんな腐った犬野郎に従っていたものだな。まあいい。おれに付いてくれば、なんでも望みのものを手に入れることができるさ!」

 それを聞いた男たちは好き勝手に喋りはじめたが、ゴードンにとってはどうでも良いことに思われた。彼の関心はすべて、シチューの入った大鍋に向けられている。この態度は見せかけではない。肩をいからせるでもなく、思いあがった素振りも見せぬが、殺戮の戦地を切り抜けてきた百人からの狂戦士を前にしても、まるで友と語らっているかのごとくに自制心を失わないのは、広い世界にこの男ぐらいなものだろう。

 たくさんの視線が、彼の腰に付けられた銃身をうかがっている。この男の銃さばきたるや、まさに魔術のごとし――と噂に伝わる。なんの変哲のない連発銃も、彼の手にかかればたちまち破壊をもたらす生きた機械と化し、相手はゴードンの手が動いたことすら気付かぬうちに死に至るという。

「噂じゃ、あんたは一度かわした約束を決して破らぬそうだな」とオルカーン、「今ここでおれたちに誓ってくれ、略奪の話は本当だとな。そうすれば、おれたちも安心できる」

「誓いの言葉なんぞ、くそ食らえだ」と応えるゴードン、立ち上がりながら、鞍に付いた布で手を拭った。「既に話したではないか。それで十分ではないのか。おれに付いて来い。おそらく、多くの仲間が死ぬことになるだろう。ああ、ジャッカルどもの腹は膨れるだろうな。多くの者が天国に向かうはめになり、やがて血の兄弟からも忘れ去られることだろう。だが生き残った者たちは、アラーの恵みの雨ほどの富をその手にできるのだぞ」

「それだけ聞けば十分だ!」と欲深げに叫ぶものがいる。「その滅多にお目にかかれぬ略奪へやらへ、おれたちを導くがいい!」

「それはいいが、さて、おれが案内するところに付いてくる勇気が、果たしておまえたちにあるかどうか――」とゴードン、「目的地はキルギス人の領土だぞ」

「アラーに誓って、望むところだ!」男たちは口々にがなり立てる。「ここはもう黒キルギス人どもの領土じゃねえか。おれたちは、異教徒のキャラバン隊を追跡している最中だったんだ。アラーの神よ、明日の朝までには、きゃつらを地獄へと送ってくれるわ!」

「アラーの恵みあれ」とゴードン、「旅が終わる頃までには、多くの仲間が矢や刃を食らっていることだろうな。だが略奪に命を賭ける気があるなら、ヒンズーの秘宝に劣らぬ財宝をその手にできるぞ。おれに付いて来い。長い旅になりそうだ」

 数分後には、大集団がこぞって西に向け駆け出していた。先頭を走るのはゴードン、その両脇を痩せた乗り手が固めている。これでは案内役というよりも、まるで囚人扱いだ。だがゴードンは一向に気にしない。つきが再び自分に向きつつあることを、彼は確信していたのだ。財宝をかっさらうなどという、とんでもない約束をどのようにして実現するつもりなのか――まったく当てのないゴードンだったが、そんなことは少しも気にならない。なるようになれ、だ。今はただ、ひたすら馬を進めるゴードンであった。

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